じいちゃんと、ばあちゃんと、わがまま姫。
2002年11月2日じいちゃんとばあちゃんにとって。
私は初の「孫娘」だった。
それはもう、ものすごい可愛がられようだった。
生まれてくる、孫という孫が、みんな男で、
もうそろそろ「可愛い」から「ウルサイ」って感じだった頃に、
私が生まれた。
そして。
その後も私の他に、女の子の孫は生まれなかった。
++++++++++++++++++++
じいちゃんは。
どこにでも私を連れて行きたがった。
どこに行っても、町の人たちが、
じいちゃんと私の為に道をあけ、お辞儀をしていた・・・という記憶。
どこのお店にお遣いに行っても、
「お爺様とお婆様に、くれぐれも宜しく・・・」と、
何かしら大きな土産物をもらった・・・という記憶。
とんでもなく、田舎の町。
その頃は、まだ分からなかったけれど、
じいちゃんとばあちゃんは、
その田舎町では、一番の、圧倒的な存在だった。
++++++++++++++++++++
沢山の偉い人が、じいちゃんの家に挨拶に来る。
代議士さんやら、議員さんやら、社長さんやら・・・。
その度に、応接間には「うな重」が運ばれてきた。
私は、じいちゃんのヒザに座りながら、
じいちゃんの分のうなぎをたいらげると、
その偉いお客さん達の分のうなぎも、奪って食べていたという。
偉いお客さん達は、タレのかかったご飯だけを
食べて帰ったんだ、と聞かされる。
・・・我ながら、すごい武勇伝。
++++++++++++++++++++
ばあちゃんは。
私の為に、わざわざ電車を乗り継いで、
少し栄えた街の方に行き、
そこで一番大きいデパートのオモチャ売り場で、
「このデパートで一番大きい、バスのオモチャを頂戴。」
と、大騒ぎしたという。
そして。
その、一番大きなバスのプレゼントを貰った私は、
「こんな小さいバスなんていらない。
本物のバスが欲しい。」
と言ったそうな・・・。
「このコはきっと、大物になる」と思ったというけれど、
ただの、わがまま姫である・・・。
++++++++++++++++++++
じいちゃんとばあちゃんは、確かにお金持ちだった。
だけど、じいちゃんとばあちゃんは、
困っている人がいると、放ってはおけない人だった。
じいちゃんは。
町の人のお店が潰れそうになると、すぐに助けに行った。
町の人が困っていれば、何でも助けた。
お金の面はもちろん、他の面でも。
ばあちゃんは。
戦時中のお金の無い時代に、
育てられなくて捨てられた子供達を、
皆連れて帰ってきて、皆自分の子供として育てた。
凄いな。そういうの。
お金を持ってるからって、できることでもないと思う。
++++++++++++++++++++
そんなことは、何も知らずに。
小さな、わがままな、お姫様だった、私。
だから、じいちゃんが倒れたときも、
あんなに可愛がってもらった恩を仇で返すように、
お見舞いに行くのも嫌がった。
お葬式も、悲しくなかった。
ばあちゃんは。
まだ生きてる。
でも。
ごめんね。
楽しみにしていた、花嫁衣裳を見せてあげられなくて。
私が結婚した事も、知らないんだよね。
私が両親と絶縁し、親戚一同とも縁を切り、結婚したとき、
ばあちゃんの葬式に出れないのが、唯一悲しいと、
旦那に泣きついた憶えがある。
もう、じいちゃんの葬式、以来だから、
10年以上、会ってないよね。
せめてもの償いにと、毎年送っていた、
敬老の日の、ばあちゃんの大好きな蘭の花も、
結婚して以来、送ってないね。
でも、送れない理由も、ばあちゃんは知らないから、
きっと悲しかったろうね。
毎年、私が送った花を、家で一番立派な花瓶に飾って、
写真に撮って送ってくれてたんだもんね。
++++++++++++++++++++
・・・なんで急に、思い出したんだろう。
ばあちゃん、私は。
今なら、どんなに小さなバスだって、喜んで受け取るよ。
ごめんね。わがまま姫で・・・。
コメント