さよなら。
2005年5月15日東京を発ったのは、まだ朝だった。
目的地まで、5〜6時間。
昼過ぎには、着くだろう。
単線2両の手動ドア。 田舎のローカル線。
大きくて、派手な花束を持っているだけでも目立つというのに、
こんな格好では、「よそ者」丸出しなのかもしれない。
皆が振り返って見ている気がする。
でも、あの人は、派手好きだ。
死んでいようと、生きていようと、こんな花束が丁度いい。
過ぎていく東北の雪景色。
川を2つ越えた。
懐かしさも、見覚えも、何も無い。
ただ、360度全てが、山に囲まれている。
15年ぶりに訪れる、小さな町。
祖父の葬式以来。
15年。
私の人生の、約半分。
想像していた程は、私の心は何も感じない。
「行くだけ行って、その後の事はその後考えればいい。」
そう言った親友の言葉が、ふと頭をよぎる。
駅を降りる。
ここからきっと、歩いて十数分の距離なのだろう。
でも、知らない町の雪道を、
ピンヒールのブーツで歩く程の体力は残っていない。
一台だけ止まっていたタクシーに乗り込む。
うっすらと記憶にある住所を、覚えているところまで告げるが、
運転手は首をかしげる。 無線で確認し始める。
それを遮る様に、今はもう通じるか分からない、
祖父の会社の名前を言ってみる。
途端に、運転手の姿勢がピンと伸びる。
「ご自宅の方で宜しいですか?」
ご自宅・・・というからには、誰かそこに住んではいるのだろう。
道すがら、ようやく覚えのある風景が見えてきた。
祖父の会社の横を通った。
祖父の蔵の数が減った分だけ、道が大きくなっていた。
家の前に着く。
運転手に、40分後に迎えに来てくれるよう頼んで、降りる。
40分。
それが、自分で区切った、タイムリミット。
私は、次の電車に乗って帰る。
車2台が十分にすれ違える幅の、門までの石の坂道。
登りきると、総ガラス張りの玄関が真正面に見える。
玄関から真っ直ぐに伸びる廊下から、
あの人が笑顔で小走りに出迎えに来てくれる姿が好きだった。
中を覗く。 真っ暗で、人が生活している気配はしない。
チャイムを押すが、やはり何の反応も無い。
松の木が重なり合って両手を広げる庭を
グルリとまわって、勝手口の方へ行ってみる。
そこからは、大音量のテレビの音が聴こえた。
いる。
そう確信した。
窓を覗き込む。
足の踏み場も無い程の、物が散らかった部屋。
生きてるか、死んでるか分からない、
一人の人間が横たわっている。
あの姿勢だと、死んでいてもおかしくない。
窓を叩く。
返事はない。
そこにいる人間は、ピクリとも動かない。
力を込めて、もう一度、窓を叩く。
人間が、急にビクッと動いた。
こちらを向いた。
「ばあちゃん・・・」
起き上がって、私の目の前の窓を開けるまでに数分。
じっとこちらを見ている。
反応は無い。
「ばあちゃん」
声をかける。 それ以上は言葉が出てこなくて、
必死に口をついた言葉は。
「大好きなお花を買ってきたのよ。 お部屋が明るくなればいいと思って。」
・・・・ 長い沈黙の後。
「あのぅ、そのような物は沢山頂いておりますから、結構です。」
白く濁った眼では認識できないか。
ボケているのか。
それとも。
これが血の繋がらない、という事なのか。
でも。
私にとっては、この人だけだ。
この人だけは、どんな時でも、決して、一度も、
私に「血の繋がらない」という言葉を発しなかった。
どうにかこうにか、怪しい者では無いことを悟ってもらい、
家の中に入れてもらう。
私が、あれだけ可愛がった孫娘だと、
彼女が認識するまでには、
かなりの時間を要した。
そうして。
長い間の空白を埋めることと、
最期の別れを互いの心の中ですることで。
あまりにも短い時間は過ぎていった。
そこに、予想通りの邪魔者が入る。
2組の親子がそこに揃っても、
片方は親子で、片方は親子にはなり得ない。
なんてことの無い、ほんの少しのしぐさや言動。
そこに見える、相手への理解と心配り、優しさ、愛情・・・。
「ああ、この人たちは、親子なんだ」と、はっきりと感じ取れる。
それを見せ付けられることが、子にも親にもなれない私にとっては、
脳をえぐられる思いだ。 頭がズキズキと痛む。
私の「母親」は、何か解らない言葉を、
キャンキャンと犬が吠え続けるように、私に向かって発し続ける。
その顔は、人間にはとても見えない。
最期の別れどころではなくなった雰囲気に、
私は黙ってその場を去った。
振り返って最期に見た祖母は、ただ涙を流し続けていた。
祖母にもらった、高価なダイヤがハート型に散りばめられたネックレスが
淋しく首の下で揺れた。
最期の面会時間は、たった30分。
彼女が私を最愛の孫娘だと認識して、涙を流したのは10分と無かった。
さよなら。ばあちゃん。
私がこの町に来ることは、もう二度と無いだろう。
目的地まで、5〜6時間。
昼過ぎには、着くだろう。
単線2両の手動ドア。 田舎のローカル線。
大きくて、派手な花束を持っているだけでも目立つというのに、
こんな格好では、「よそ者」丸出しなのかもしれない。
皆が振り返って見ている気がする。
でも、あの人は、派手好きだ。
死んでいようと、生きていようと、こんな花束が丁度いい。
過ぎていく東北の雪景色。
川を2つ越えた。
懐かしさも、見覚えも、何も無い。
ただ、360度全てが、山に囲まれている。
15年ぶりに訪れる、小さな町。
祖父の葬式以来。
15年。
私の人生の、約半分。
想像していた程は、私の心は何も感じない。
「行くだけ行って、その後の事はその後考えればいい。」
そう言った親友の言葉が、ふと頭をよぎる。
駅を降りる。
ここからきっと、歩いて十数分の距離なのだろう。
でも、知らない町の雪道を、
ピンヒールのブーツで歩く程の体力は残っていない。
一台だけ止まっていたタクシーに乗り込む。
うっすらと記憶にある住所を、覚えているところまで告げるが、
運転手は首をかしげる。 無線で確認し始める。
それを遮る様に、今はもう通じるか分からない、
祖父の会社の名前を言ってみる。
途端に、運転手の姿勢がピンと伸びる。
「ご自宅の方で宜しいですか?」
ご自宅・・・というからには、誰かそこに住んではいるのだろう。
道すがら、ようやく覚えのある風景が見えてきた。
祖父の会社の横を通った。
祖父の蔵の数が減った分だけ、道が大きくなっていた。
家の前に着く。
運転手に、40分後に迎えに来てくれるよう頼んで、降りる。
40分。
それが、自分で区切った、タイムリミット。
私は、次の電車に乗って帰る。
車2台が十分にすれ違える幅の、門までの石の坂道。
登りきると、総ガラス張りの玄関が真正面に見える。
玄関から真っ直ぐに伸びる廊下から、
あの人が笑顔で小走りに出迎えに来てくれる姿が好きだった。
中を覗く。 真っ暗で、人が生活している気配はしない。
チャイムを押すが、やはり何の反応も無い。
松の木が重なり合って両手を広げる庭を
グルリとまわって、勝手口の方へ行ってみる。
そこからは、大音量のテレビの音が聴こえた。
いる。
そう確信した。
窓を覗き込む。
足の踏み場も無い程の、物が散らかった部屋。
生きてるか、死んでるか分からない、
一人の人間が横たわっている。
あの姿勢だと、死んでいてもおかしくない。
窓を叩く。
返事はない。
そこにいる人間は、ピクリとも動かない。
力を込めて、もう一度、窓を叩く。
人間が、急にビクッと動いた。
こちらを向いた。
「ばあちゃん・・・」
起き上がって、私の目の前の窓を開けるまでに数分。
じっとこちらを見ている。
反応は無い。
「ばあちゃん」
声をかける。 それ以上は言葉が出てこなくて、
必死に口をついた言葉は。
「大好きなお花を買ってきたのよ。 お部屋が明るくなればいいと思って。」
・・・・ 長い沈黙の後。
「あのぅ、そのような物は沢山頂いておりますから、結構です。」
白く濁った眼では認識できないか。
ボケているのか。
それとも。
これが血の繋がらない、という事なのか。
でも。
私にとっては、この人だけだ。
この人だけは、どんな時でも、決して、一度も、
私に「血の繋がらない」という言葉を発しなかった。
どうにかこうにか、怪しい者では無いことを悟ってもらい、
家の中に入れてもらう。
私が、あれだけ可愛がった孫娘だと、
彼女が認識するまでには、
かなりの時間を要した。
そうして。
長い間の空白を埋めることと、
最期の別れを互いの心の中ですることで。
あまりにも短い時間は過ぎていった。
そこに、予想通りの邪魔者が入る。
2組の親子がそこに揃っても、
片方は親子で、片方は親子にはなり得ない。
なんてことの無い、ほんの少しのしぐさや言動。
そこに見える、相手への理解と心配り、優しさ、愛情・・・。
「ああ、この人たちは、親子なんだ」と、はっきりと感じ取れる。
それを見せ付けられることが、子にも親にもなれない私にとっては、
脳をえぐられる思いだ。 頭がズキズキと痛む。
私の「母親」は、何か解らない言葉を、
キャンキャンと犬が吠え続けるように、私に向かって発し続ける。
その顔は、人間にはとても見えない。
最期の別れどころではなくなった雰囲気に、
私は黙ってその場を去った。
振り返って最期に見た祖母は、ただ涙を流し続けていた。
祖母にもらった、高価なダイヤがハート型に散りばめられたネックレスが
淋しく首の下で揺れた。
最期の面会時間は、たった30分。
彼女が私を最愛の孫娘だと認識して、涙を流したのは10分と無かった。
さよなら。ばあちゃん。
私がこの町に来ることは、もう二度と無いだろう。
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