働き続けて15年。
離婚して10年。
今の家を買って5年。
なんか、様々な節目の年のような気がしてた。
だからかな。
今年はなんだか、騒々しい。
20年ぶりに、叔父と叔母に再会することになり、
犬をホテルに預けて
パパと2人、まだ雪の残る被災地に降り立った。
がれきの山、仮設住宅、つぶれた蔵、崩れた塀、
実がなったまま放置されている柿の木、「除染作業中」の看板、
「セシウム川」「セシウム畑」と皮肉る地元の人々、
「負けるな」「がんばろう」と至る所に掲げられてるスローガン…
復興なんて、そう簡単なことでは無いと思ってはいたけれど、
被災地の現状が、まだこんなにひどいとも想像していなかった。
「こんな所、本当はもう住めないんだから、
それをちゃんと認めて、責任をとって国が買い取るべきなんだ。」
…そんな声をたくさん聞いた。
「お金ばっかりくれてもね…。」
仮設住宅に住んでいる人はもちろん、
叔父や叔母のように、家が無事だった人に対しても、
就労し十分な収入がある人に対しても、
心のお見舞金のようなものが、月々支払われている。
その額も半端ないから驚く。
世帯に対してではなく、住民1人1人に対して支払われるから、
家族が多い家は、そのお金だけで十分やっていけるし、
就労意欲をなくして、街でギャンブルに興じる人も多いらしい。
ちなみに、叔父と叔母は、その見舞金でテレビとブルーレイを購入。
祖母の葬式も出られず、墓参りにも行けず、
ずっと苦しんでいたことを察してくれた叔父と叔母は、
悲願だった、祖父母の墓参りにも連れて行ってくれた。
線香を一束。
しゃがみこんで、何分も何分も、掌を合わせ続けた。
じいちゃん、ばあちゃん、ごめんね、ごめんね…。
やっと来られたよ…。
本当にやっと会えたね…。
墓地の墓も、震災でことごとく倒壊したらしい。
墓を直す為の補償金はどこからも出ないが、
先祖代々その土地に住む多くの人たちは、
何がなくとも、まず墓を立て直したそうだ。
秘湯と呼ばれる温泉で、
叔父と叔母と、20年ぶりの時間。
パパと会うのはもちろん初めてだったけど、
私と違って、外国暮らしが長いこともあって、
コミュニケーション能力に長けているパパにはノープロブレム。
すぐに打ち解けて、叔父と温泉で背中まで流し合ったそうだ。
私の両親は、私が結婚したことを誰にも知らせていないこと
(離婚したことも再婚したことも知らないけど…)、
親戚の中では、私の名前を出すことはタブーとなっていること、
私が20年も姿を現さず、祖母の葬式にすら出ないことも、
みんな様々に思いながら、口に出せないこと等、
私のいない所で色々ある現実を聞かされた。
知っているとは思うけど、
うちの家族は、家族と呼べないくらいバラバラなのよ…。
お互いの住む場所も、連絡先も知らなければ、
会う意思も無いんだから。
でも、そういうのが「親戚」の中にいると、
結構ややこしかったりするんだね…。
ごめんね、迷惑かけて。
そう言った私に。
よるべの無いお前が、不憫でならなかったと言ってくれた叔父。
祖母の形見の指輪をくれた叔母。
全てを守っていくので安心してください、と言ってくれたパパ。
被災地での20年ぶりの再会は、有意義だったと思う。
離婚して10年。
今の家を買って5年。
なんか、様々な節目の年のような気がしてた。
だからかな。
今年はなんだか、騒々しい。
20年ぶりに、叔父と叔母に再会することになり、
犬をホテルに預けて
パパと2人、まだ雪の残る被災地に降り立った。
がれきの山、仮設住宅、つぶれた蔵、崩れた塀、
実がなったまま放置されている柿の木、「除染作業中」の看板、
「セシウム川」「セシウム畑」と皮肉る地元の人々、
「負けるな」「がんばろう」と至る所に掲げられてるスローガン…
復興なんて、そう簡単なことでは無いと思ってはいたけれど、
被災地の現状が、まだこんなにひどいとも想像していなかった。
「こんな所、本当はもう住めないんだから、
それをちゃんと認めて、責任をとって国が買い取るべきなんだ。」
…そんな声をたくさん聞いた。
「お金ばっかりくれてもね…。」
仮設住宅に住んでいる人はもちろん、
叔父や叔母のように、家が無事だった人に対しても、
就労し十分な収入がある人に対しても、
心のお見舞金のようなものが、月々支払われている。
その額も半端ないから驚く。
世帯に対してではなく、住民1人1人に対して支払われるから、
家族が多い家は、そのお金だけで十分やっていけるし、
就労意欲をなくして、街でギャンブルに興じる人も多いらしい。
ちなみに、叔父と叔母は、その見舞金でテレビとブルーレイを購入。
祖母の葬式も出られず、墓参りにも行けず、
ずっと苦しんでいたことを察してくれた叔父と叔母は、
悲願だった、祖父母の墓参りにも連れて行ってくれた。
線香を一束。
しゃがみこんで、何分も何分も、掌を合わせ続けた。
じいちゃん、ばあちゃん、ごめんね、ごめんね…。
やっと来られたよ…。
本当にやっと会えたね…。
墓地の墓も、震災でことごとく倒壊したらしい。
墓を直す為の補償金はどこからも出ないが、
先祖代々その土地に住む多くの人たちは、
何がなくとも、まず墓を立て直したそうだ。
秘湯と呼ばれる温泉で、
叔父と叔母と、20年ぶりの時間。
パパと会うのはもちろん初めてだったけど、
私と違って、外国暮らしが長いこともあって、
コミュニケーション能力に長けているパパにはノープロブレム。
すぐに打ち解けて、叔父と温泉で背中まで流し合ったそうだ。
私の両親は、私が結婚したことを誰にも知らせていないこと
(離婚したことも再婚したことも知らないけど…)、
親戚の中では、私の名前を出すことはタブーとなっていること、
私が20年も姿を現さず、祖母の葬式にすら出ないことも、
みんな様々に思いながら、口に出せないこと等、
私のいない所で色々ある現実を聞かされた。
知っているとは思うけど、
うちの家族は、家族と呼べないくらいバラバラなのよ…。
お互いの住む場所も、連絡先も知らなければ、
会う意思も無いんだから。
でも、そういうのが「親戚」の中にいると、
結構ややこしかったりするんだね…。
ごめんね、迷惑かけて。
そう言った私に。
よるべの無いお前が、不憫でならなかったと言ってくれた叔父。
祖母の形見の指輪をくれた叔母。
全てを守っていくので安心してください、と言ってくれたパパ。
被災地での20年ぶりの再会は、有意義だったと思う。
コメント
ほっとしました(^ー^)
次はまた来年かー。
待っています。