生と死と。

2003年3月28日


北海道の友人のご主人が、心筋梗塞で急死したとの連絡が入った。


まだ、41歳の若さだった。
子供が3人いて。
一番末っ子のチビちゃんは、まだ小学生。
傍から見ていても、誰もが羨む暖かく楽しい家庭だっただけに、
周囲のショックも大きく。


関係者からぞくぞくと届くメール。
やりきれない想いが、共有される。


タイムリーなことに、
俳優さんの心筋梗塞からの生還の報道が流れてた。


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それが、家族であろうと、大切な人であろうと、
「亡くなった」という事後報告ではなく。


自分の目の前で、
自分を愛してくれていた人が、死んでいくという事。


まさに、息を引き取るという瞬間に、
その場に自分が居ると言う事。


それが、どれだけの事か、私も知っている。


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あれから。
10年は時が過ぎたように思うけれど、
指を折って数えてみれば、まだ数年しかたっていない。


あのとき。
私も一緒に死ぬべきだったのか。
それとも、
今生きていることが正しいのか。
答えなんて分からない。


「だから、一緒に死のうって言ったのに・・・」


ただ、あの人が最期に残したその言葉が、
私の頭から、消える事は無い。


無題

2003年3月26日


1人きりの部屋。
1人きりのご飯。
1人きりのベッド。


それが当たり前だったことだってあるのに、
なんでこんなに淋しく感じるんだろう。


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腐った野菜は、除けておかないと、
周りにカビが移ってしまうわ。


でも、きっと。
捨てるために取り出そうとしても、
触りたくもない程に、カビカビの私。


早急に、処分しないとね・・・。


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淋しいのなら、1人でいよう。
死にたいのなら、生きていこう。
自分を愛せないのなら、憎んでやろう。


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「脳がうるさい。」
「脳が痛い。」


私はそう表現している。


起きている。意識もハッキリしている。
夢でもない。目の前の物も見えている。
でも、私の脳は、私にメチャクチャな映像を送ってよこす。


不思議な事に、そこに「音」は存在しない。


勿論、現実ではない。
でも、夢でもない。幻視でもない。
ただ、脳から送られてくる、映像的イメージ。


ただ、ひたすらに、私の脳がそうやって騒いで、
うるさくて、うるさくて、仕方ない。
「心」じゃなくて「脳」が痛くてたまらない。


抑圧されたものが、噴火のように流れ出してくる。


脳が最高潮に活動している。
これでもか、と脳内物質が溢れ出す。


・・・私の頭の中の、爆弾。


++++++++++++++++++++


「今の貴女には、膝を抱えて、じっと我が身を抱き締めてあげ、
我慢せずに、うんと泣いてください。
悲しみに浸り、喪失感を癒す事が必要です。

明日は、明日の風が吹くのを待ちましょう。」


懐かしい字で、手紙が届いた。
お世話になった、年配の女性からの手紙。


「札幌の実家のつもりです。
いつでも帰ってきてください。
日本酒を用意して、主人も待っています。」
と、毎年、年賀状に書かれて来る。


こんなに暖かい人達が、どうして私の周りに
存在してくれているんだろう・・・。


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1人  腐敗  逆流  脳  存在


そして


私の中の、ステレオタイプ


5年ぶりのデート。

2003年3月25日


「もしもし、今、どこに居る?」

「もしもし、今、何してる?」

「早く家に帰れよ。心配してんだぞ。」


夜。11時を回る頃に鳴る、携帯着信音。


駅から家に辿り着く合間にかけてくる、「先生」。


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「東京タワーに行きたい。」


そう言った私の願いを、すぐに叶えてくれる。
5年ぶりのデートは、土曜日に決定。
奥様に「仕事」だと偽り、スーツ姿で来る先生に合わせて、
何を着ていこうか、私は今から大ハシャギ。


++++++++++++++++++++


奥様は、私の事を知っている。
何せ、私が通っていた予備校の事務のオネエちゃんだった訳だし、
先生と私が付き合っていたことも知っている。


私が結婚した時、結婚祝の品を見繕ったのも奥様だし、
自宅に電話をかけても、すぐに私だと分かって、
対応はとても親切に、「お元気で過ごしてらっしゃるの?」
なんて言ってくれてた。


ところが。
私が離婚した事を知った奥様は、面白くない訳だ。
未だに、先生の定期入れに貼ってある、
私と先生の2ショットプリクラは、
奥様に不毛な想像をさせる。
だから、先生は、私と会うことを奥様に言えない。


結婚して、もうすぐ10年。
2人の子宝にも恵まれ、
5LDKのマンションに住み、
何の不自由も無いどころか、
家事すらまともにしていない奥様。


先生は、深夜に帰宅し、掃除機をかけ、夜ご飯を自分で作り、
家計までもをやりくりしている。


そんなこんなで、私が離婚する少し前から、
先生と奥様の間では、離婚届が飛び交っていた。


++++++++++++++++++++


「ねぇ。携帯の履歴とか、ちゃんと消しておきなよ。」


ゴタゴタに巻き込まれるのは不本意。


やましい事も無いのに、私との事を、変に隠そうとするのも、
今の先生にとっては、マイナス材料よ。
言えないのなら、証拠は確実に隠滅すべきね。


+++++++++++++++++++


でも。
離婚はしない方がいい。
して欲しく無い。


先生は、何でも1人でできる人だけど、
「家庭」や「家族」を失う事は、
想像以上の喪失感に襲われるから。


最初に子供が生まれた時の、
あの感動を忘れないで。


いくら愛していないとしても、
貴方の愛する子供を、腹を痛めて産んでくれたのは、
他ならぬ奥様よ。
その感謝だけは、忘れないで。


++++++++++++++++++++


ねぇ。先生。
こ洒落たお店じゃなくて、ファミレスに行きたいな。
北海道は、ファミレスってあんまり無かったから、
すごく楽しいの。


あの時みたいに、クリームソーダを注文しようよ。
あの時みたいに、歴史の話を聞かせてよ。
あの時みたいに、笑えるようにしておくから。


++++++++++++++++++++


あの時よりも、少しだけ大人になった私に、
先生は、何を感じるのかな・・・?


近況報告。

2003年3月16日


慣れない環境のせいなのか、
たまりたまった疲れのせいなのか、
飲み始めたホルモン系の薬の副作用なのか、
はたまた、気持ちの持ち様なのか。


めまい、不眠、食欲不振、身体のだるさ、微熱、
内出血、肌の痒み、吹き出物、口内炎・・・
と、ボロボロの身体。


ようやく手に入れた、任意継続の保険証を握り締め、
近所の病院へ。
そして、またもや処方される薬。


もう、いいよ・・・。


・・・なーんて所から、這い上がってまいりました。


随分と落ち着きは取り戻しつつあり。


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そんな近況でございます。
ご心配下さった方々、ありがとうございました。


そして、ぶっ壊れたPCも、近々入院予定。
しばらく、お休みとなります。


それでは。
皆様、心身共に、ご自愛くださいますよう・・・。


++++++++++++++++++++


私信>きけり兄さん。

HPの方は、プロバイダを解約したので、今月中には
閉鎖になると思われます。
いいよね? 


生きていこう。

2003年3月4日


新しく住み始めた街は。


北海道との気温差20℃以上。
湿度も、空気も、全く違って。


適応能力はそんなに欠けていないはずだけど、
やっぱりこれだけ違うと、
体がついていかない。


「年なんだから(笑)。」
って言うなよぉぉ。>きけり兄さん。


しかも。
今の私のご身分。
バツイチ。無職。健康保険も無し。
なんだよ、それ(苦笑)。


とりあえず。
主要な手続き関係は、今日でクリア。


後は。
ゆっくり、ゆっくり、この環境に慣れながら、
仕事を探す事かなぁ・・・。


そう。
大丈夫。
ゆっくり、ゆっくり、慣れていけばいい。
少しずつ、少しずつ、前に進んでいけばいい。


新しい街で。
新しい環境で。
新しい私で。


私らしく。


たくましく。
のびのびと。
やわらかく。


生きていこう。




ついに。

1人きりの戸籍謄本とご対面。

私だけの、1人きりの戸籍。


悲しいのか、切ないのか、さっぱりしたのか、
自分の感情は分からず、
ただ必死に涙をこらえるのみ。


++++++++++++++++++++


元夫とは、離婚届を出してからも、
私が北海道を去る、その当日まで、
生活を共にしていたことも有り、
「バツイチ」って感覚は、あんまり実感できず。
職場の人間も、離婚する事を知っている人が
限られていた為に、退職日までは結婚指輪も外さずにいて、
軽くなった左手薬指に、戸惑いすら感じ。


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誰もが、そして、私自身が一番ビックリしたのだけれど。


北海道を発つその日。
空港までは元夫が車で送ってくれることには
なっていたのだけれど。
まあ、いいとこ、私を駐車場で降ろして、
バイバイっ、てな感じになると思っていたのに。


ヤツはちゃんと出発ロビーまで、私の荷物を持って
来てくれて、
友達の見送りも影から見守っててくれて、
最後の最後まで、ちゃんと傍にいてくれた。


「幸せだったよ。ありがと。」
「はいよ。」
そして、握手。


涙がこぼれ落ちんばかり。
グッと我慢。


・・・振り返ると。
ヤツも振り返っていて、
私に向かって片手を挙げた。


++++++++++++++++++++


うわぁぁぁ。
もうダメだわ。 泣いてしまう。


でも、最後の関門。


実は、元夫の妹が、空港で、
手荷物検査・身体チェックの仕事をしていて、
会わずに済む方法はなく。


精一杯、顔を作りながら、
「元気でね。」って言うのがやっとで。


・・・ピーピーピー・・・


引っかかったことなんて一回もないのにさ。
私の体どころか、荷物まで引っかかり。


限りなく後味悪く。
苦笑するしかない。


まあ、そのおかげで、涙をこぼさずにすんだ。


++++++++++++++++++++


本当は。


思いっきり泣きたいのに。


思いっきり、子供の様にビービー泣いて、吹っ切って、
笑顔を取り戻したいのに。


いまだに泣く事はできず。


1人きりの戸籍謄本を見つめながら、
感情を発散できないでいる自分と、
格闘中・・・。


さらば、北海道。

2003年2月22日


結局。


北海道という、島国に、
10年近く居座ってしまった訳で。


北海道って、「標準語」に近いと聞いていたのに、
実は、何気に、物凄くなまってたり(笑)。


で。
同僚相手に、北海道弁が出てこないよう、
練習してみたりなんかして(笑)。


まあ、元々、道産子な訳じゃないので、
「なまら○○だべや。」 (←超○○じゃん。)
・・・なんて、とこまではいきませんが。
あ、今の道民の人も、もうあまり使わないのかな?


でも。
「投げる」(←捨てる)
「ばくる」(←交換する)
「ちょす」(←触る)
「ザンギ」(←鶏の唐揚げ)
「はんかくさい」(←「何やってんの?」みたいな感じ)

・・・とかさ。
ふつーに、普段使ってしまっているのよねぇ・・・。


でもね。物凄く好きな方言もあって。


「ごめんね。」とか「ありがとう。」とかに
「なんも、なんも。」(←いいよ、気にしないで。)
って言うのとか。


あと。
「かえって、どうも。」って言うのも、好きだったり。


私は、父の転勤に伴って、
全国を転々としてきて、
色々な土地や人や言葉と触れ合ってきたけれど。
北海道の人も、言葉も、一番、温かかった。


きっと。
寒い雪国で。
移民してきた人達ばかりで。
お互いを助け合いながら、協力しあいながら、
歴史を作ってきた島国だからだろう。
寒さに立ち向かうだけの、強さと明るさを持った人達。


うん。いい所でした。
さよなら。 北海道。




私は、幼い頃から、看護士になりたいと思った事は、
一度も無い。
看護士になるくらいなら、医者になりたい、
そう思っていたからだ。
私の幼い頃の夢は、女医さんだった。


確かに、医療業界で、看護士の資格ほど
強いものは無いかもしれない。
女性にとってはね。
何歳になっても、どんなブランクがあっても、
仕事があるのだから。


ただ。 だからと言って、
看護士が嫌いな訳ではなく。
医療業界で働いてきている、私の周りには、
沢山の仲良し看護士さんがいる。
まあ、オバちゃんばっかだけど。


そして。
私が今まで出会ってきた中で、
この人ほど、尊敬に値する看護士がいるだろうか、という、
以前一緒に仕事をしていた、年配の女性がいる。


んで。
今日は、その人と飲んできた訳で。


彼女は、旅立つ私の為に、
3枚のハンカチをプレゼントしてくれた。


「このハンカチはね。
悲しい涙を拭くためにあげる訳じゃない。
あんたが、嬉しくて、嬉しくて、
涙がこらえきれない程嬉しくて、
そんなとき、その嬉し涙を拭くために、使いなさい。」

「ほんっと、難しい事言うよねぇ(笑)。
分かったよん。
一枚使うごとに、メール入れるわ。」

「あんたのことだから、自分を苦しめてばかりで、
きっとそのメールが届く頃には、
私は引退してんだろうねぇ。」

「そんなに私を幸せにしたくないのぉぉ?(笑)」

「幸せに、なんなさいよ。」

「はい・・・。」


・・・お母さんみたいな人・・・。


そして、彼女の看護やケアに対する考え方が、
私は好きでたまらない。


「こういうケースの患者さんがいるんだけど、
あんただったらどうする?」
「私なら、こうするね。」
「そっかあ。でも、こういうやり方もいいと思わない?」
なんて、まるで、カンファレンスみたいな話もして。


「私も看護士免許、取ろうかな。
でもさ、損得勘定だけでなろうったって、
そんな甘い世界じゃないしね。
それ以前に、向いてないと思うしさ。」

「そうだね。あんたは看護士には向いてないかも(笑)。
あんたに向いてんのは、介護関係だね。」

「あ、それ、ビンゴ(笑)。
でも、私が最終的に目指してるのは、
ちょっと違うんだー。」


そんな話を、ワイワイしながら。
飲んで、食べて、煙を吐いて。


もう、会えなくなっちゃうなんて実感など無く。


最後に。
「白髪はちゃんと、1ヶ月半に1回は染めなくちゃダメだよー。」と、
口をすっぱくして言い続けて来たセリフを残し、
笑いながら、バイバイする。


嬉し涙を拭く為のハンカチは。
大切な日の為に、ちゃんと取っておくよ・・・。


私らしいかもね。

2003年2月17日


時計が9時を回る頃。


仕事帰りに、
姑に、最後の挨拶をして来た。
姑は、泣いていた。


「みやちゃん、こんなに痩せちゃって・・・。
ごめんね。ごめんね。
幸せになってね・・・。」


姑は、編物が得意で。
自分の娘よりも先に、毎年、
セーターやらマフラーやらを私の為に編んでくれた。


夫に内緒で、2人でよく飲みにも行った。
こっそり、メールのやりとりもしていた。
家と家とは、車で5分程の距離だったけれど、
夫が、私と姑が仲良くする事を面白く思わなかったからだ。


メールの最後には、必ず、
「母さんより」 と書かれてあった。
それが、物凄く嬉しかったんだ。


私の母さん。
本当の娘の様に可愛がってくれて。
勿論、そこには、夫を間に挟んだ、
心の葛藤も互いにあったけれど、
私は、とても恵まれていた。


エレベーターまで見送ってくれた姑が、
見えなくなるまで、
私は深々と頭下げた。
感謝の気持ちを精一杯込めて。


+++++++++++++++++++++++


家に帰ると、今度は生命保険の手続きが待っていて。


担当だった人は、以前の職場での、
上司の友人だった事もあり、
これまた、良くしてもらった人だ。


「みやちゃん、保険のね、受取人なんだけど、
どうしようか・・・?」
「どうしようね。 誰もいなくなっちゃったよ。(笑)
空白じゃ、出せないんだもんね・・・。」
「昔はね、空白でも通ったんだけどね・・・。」


子宮の痛みに耐え切れず、
昼休みに、向かいの産婦人科で、
痛み止めの点滴を打ってもらう日々で、
「再発してるかもしれないねぇ。 切るかい?」
と言われてる状態で、保険を解約する訳にはいかないよなぁ・・・。


とりあえず、無理を言って、「保留」という形にしてもらったけれど。


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うわぁぁぁ。
本当に、1人になっちゃうんだー。
なんて。


人にはとっても恵まれてきたし、
心から一緒に笑って、一緒に泣いて、
本当に相手が困ったときには、何が何でも
助けあえる友人もいる。


新しく住むことになった土地の近くにも、
友達は沢山いるし、
10年近くぶりに、懐かしい土地に帰れるかと思うと、
かなり幸せな気持ち。


でも。
1人きりの戸籍、とか。
生命保険の受取人が誰もいない、とか。
改めて、自分自身を問う。


「何やってんの?(笑)」ってね。


まあ。
こんな人生も有りじゃない?
私らしいよ、結構ね。


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明日からは、最後の送別会ラッシュ。
子宮痛い、とか言って、
酒飲んでる場合じゃないんですが(笑)。


明日は、寿司です、寿司!!
院長が個人的に、2度目の送別会をしてくれるとのことで。
きっと、もう、おいしい魚介類を食べられないと思って、
気を使ってくれてるんだろうなぁ・・・。


飲んで、食べて、栄養つけてこなくちゃねっ♪


いい日旅立ち

2003年2月15日


ここずっと長い間。
かなりプチ鬱状態が続いており。


自分の人生の岐路に、
不安や、恐怖や、とまどいや、後悔や、
とりあえず、そんなマイナスな思考から這い上がれなくって。


私が落ちる時って、本当、まっ逆さま。


でも、身体的にまで、それが出るのは初めて。
いくら営業スマイルしたところで、
痩せるだけ痩せて、
顔色悪くて、
発熱続いて、
目つきも変われば、
そりゃあ、周囲も心配するやね・・・。


まあ。こんだけ、凹めば、もういいでしょう。


で。
這い上がるきっかけとなったのが、
昔、書いていた、自分の日記だったりして。


強気、強気。
言いたい放題。
危いながらも、自分を保ってる。
一番精神的に安定していた時期とはいえ、
その時の自分から見たら、
今の自分って、なんて情けない・・・と。(笑)


この日記って。
私の娯楽の1つ。
そうね〜、麻雀とか酒とか、そんなものと同等。
だから、本当の事も書くけれど、
フィクションのものもあるし、
想像だけで書くこともあるし、
どっかから題材だけもらってきて、脚色して書くことも有り。
ただ、その時の精神状態やら何やらは、
やっぱ、文面に反映するわけで。


私は、この場で、自分の一部の見せても、
全てを見せる気はない。
だから、本文とヒミツ日記で印象が違うのは当たり前。
ヒミツ日記は、今こそほとんど書けないけれど、
何かの縁で知り合った人達との、コミュニケーション。
だから、自分の言葉で、自分の本当に思ったところを書いてきた。
その中で、親しくなった人たちには、
素の私の一部分を出してきたところもあって、
「本文とヒミツ日記で、随分ギャップがある」とは、
よく言われてきた。


そして。 そんな感じで、
以前書いていた日記のカウンターが、
恐ろしい程に回り始め、
どこでそうなったのかは知らないけれど、
「いい女」「強い女」と偶像の私が歩き始めた事をきっかけに、
私は日記を移動した。


んで。
今の日記。
まあ、読み返しても、ヘタレ、ヘタレ(笑)。
笑っちゃう。


気持ちの切り替えってさ。
ふとしたことがきっかけで、思いっきりできることがある。


多分、今日はそんな日だった。


前述の、昔の日記もそうなんだけど。
引越しの準備が最終段階にまで来ていて。
有り余る程の「思い出」に、浸るだけ浸ったのよ。


アルバムやら、手紙やら、テープやら・・・。
思いっきり、これでもか、と後ろを振り返って。
思い出の詰まった全てのものに触れ、
泣いて、笑って。


そして。
それらを振り切った。


さあ。 私の人生、これからだ。
道連れにするのは、生まれ変わる自分。
最高の笑顔で、一歩一歩、歩いていこう。


2003年2月10日


同じ夢にうなされる。


チャイムがなって、
玄関のドアを開けると、父親が立っている。


玄関に続く台所。
反射的に包丁を自分に向ける。


相手が引き下がらなければ、
自分を貫く。


玄関を開けて、立っているのが母親ならば。
私は多分、包丁を相手に向けるだろう。
でも。
父親であれば、間違いなく自分に向ける。


そして。
いずれにしても、振りかざすだけでは済まないだろう。


・・・闇。


ちっぽけな。

2003年2月9日


北海道の街は、碁盤の目。
ライトアップされた、整えられた目下の景色に、
もう、生涯二度と、見る事はないだろうと、
暗くなった夜間飛行の機内の中、1人、
こぼれ落ちかけた涙をこらえる。


また1つ、帰る場所を失う。


自分が思っていたよりも、その傷は深かった。
痛くて、痛くて、うずいて、うずいて、
心臓を抑えながら、
「助けて」と叫ぶ心を、無理矢理、封印する。


自分で、決めた事。
全部、全部。


用意された離婚届。
ダンボール。
離職票。


空港の到着出口で待っていてくれたのは、
欲しくて欲しくてたまらなくて、
やっと手に入れたはずの、自分の「家族」。
形だけでも手放したくない、自分の「家族」。


今の私には、まだ、受け止め切れない、
耐え切れない、現実に、
倒れそうになりながら、
吐き気を催しながら、
それでも、必死に、正気を保って、
真っ白な地面に、両足を踏みしめる。


泣くのは、
倒れるのは、
壊れるのは、
全てにケリをつけてから。


全て自分で招いた結果。
選んだ結果。
そんな自分を、とことん恨んで、
恨んで、恨んで、恨み抜けばいい。


こんな選択しかできない、ちっぽけな自分を。


責めて。攻めて。


その先で、自力で這い上がれる自分を信じて。


本当に正しい答えなんて、
誰も教えてくれない。
誰も触れられない。


空気の綺麗な星空の下、
そんな事は、全部、ちっぽけな事。




人は。


それぞれに、様々な傷を抱えていて。


目に見える傷よりも、
目に見えない傷の方がはるかに、痛くて、深い。


++++++++++++++++++++


見捨てないで。
私を、見捨てないで。

・・・私は、いつだって、そう叫んできた。


愛して。
誰か、私を愛して。

・・・私は、いつだって、そう叫び続けてきた。


++++++++++++++++++++


幼い頃から、親にすら、愛されなかった。


もし、仮に、愛されていたとしても、
私には、それが「愛」だとは受け取れなかった。


++++++++++++++++++++


人を愛するということ。
人に愛されるということ。


・・・そんなこと、誰も教えてくれなかった。
だから、こんな私を愛してるという人から、
それを学ぼうと思った。


自分が好きだと想う人じゃなく、
自分を好きだと言ってくれる人とだけ、
付き合ってきた。


そして。 そんなことを繰り返しながら。
未だに「人を愛する」ということが、理解出来ないでいる私・・・。


++++++++++++++++++++


私を、見捨てないで。


私を、愛して。


その為なら、私は何だってする・・・。


++++++++++++++++++++


「愛されたがってばかりじゃ、誰も愛せないよ。」
・・・そんなこと、分かりきってる。


でも。


人を愛する事なんて、教わってこなかった。
人から愛されても、ピンとこなかった。


人を愛するって、どういうこと?
人を愛したら、どうしたらいい?


・・・ただ。
その答えだけを、必死に探そうとしている。




そのままでいいよ。
生きてるだけでいいよ。
強くならなくたっていいよ。
頑張らなくていいよ。
もう、沢山、沢山、頑張ってきたんだから。


褒めて欲しかっただけ。
認めて欲しかっただけ。
大切にされてると認識させてほしかっただけ。
愛されてるって確信したかっただけ。
生きてていいんだって言って欲しかっただけ。
そうでしょ・・・?


++++++++++++++++++++


自分の為に、ふかふかの毛布を与えてあげよう。
誰も、くれないよ。
それは自分で手に入れるんだ。
自分を温めてあげよう。
心からゆっくり休める時間を作ってあげよう。
自分を大切にしてあげよう。
みんな、他人のことは大切にできるのに、
自分のことは大切にしてこなかったんだから・・・。


+++++++++++++++++++++ 


self−esteem。
「自己肯定感」。


自分は生きている価値がある。
存在価値がある。
自分は大切な存在だ。
必要とされている。

・・・という感覚のこと。


人間が生きていく上で、最も大切なのは、
「存在への安心」。


「存在への安心」が極端に欠けている人、
つまり、自分という人間は、
「存在価値のない人間だ」、
「いらない人間だ」、
という不安を持っている人は、
他人に褒められる事・認められる事を持って、
自分の存在価値にしようとする。
褒められなくなると、認められなくなると、不安になり、存在価値を失う。
だから、常に休む事ができず、とても苦しくなる。


生きてるだけで邪魔な存在だから死ぬしかない。
死んでも、誰からも気にとめられない、
それだけの価値もない、そう思ってしまう。


自分は、もういない方がいい、
存在しない方がいい人間なんだと思ってしまう。


・・・心の奥底には、深い悲しみだけがある・・・。


++++++++++++++++++++


自分の存在は、邪魔ではない、
必要な存在なんだ、ということを確かめられずに、
強い不安の中で大人になってまった人たち・・・。


常に他人の顔色を伺って、自己主張できず、
相手の機嫌をとっていないと、相手は自分から去っていってしまう、
見捨てられてしまう、という思いにかられる。


ありのままの自分を大切にされたことが無いから、
自分の本音を出したら、捨てられるのではないかと思う。


++++++++++++++++++++


リスカ? アムカ?
肯定はしない。自分の体を傷つけても仕方ない。
でも、自殺するよりは全然いい。
そうやってしか、生きていけない人だっている。
斬って、何かから逃げようとする。
血を見て、生きている実感を得て安心する人もいる。
いくら他人に、否定されたって、
間違ってるって指摘されたって、
今は、そうするしかできないんだもん、仕方ないよね。


薬、お酒、タバコ、異性との関係。
何かに依存したくなる。
淋しさ、孤独、それらを埋めてくれる何か。
一瞬だけでも忘れさせてくれる何か。
本人は、自分でも、いい事だとは決して思ってない。
でも、手を伸ばさずにはいられない。
分かっているだけに、本人が一番苦しいんだ。


自傷行為。その中には、例え、体を傷つけなくても
自分自身の精神をいじめてしまう場合もある。


++++++++++++++++++++


強い人や、弱いけれど強がることができて、
1人で自分の足で立って生きていける人もいる。
彼等は言うんだ。
「甘い」「弱い」「分かってない」「悲劇のヒロイン」・・・。


彼等はどんな過去があったって、
今、自分の力で生きていける。
それは、その人たちが必死にもがいて、這い上がって、
そして強さを手にしたのかもしれない。


でも。
みんなを同じにしちゃいけない。
みんなの傷は、1人、1人違う。
1人1人の脳が、全て同じでは無いように、
感じ方も、想い方も、人それぞれ違う。
例え周囲の人間が浅い傷だと言っても、
本人が深いと思ってしまっていれば、
本人にとっては「深い傷」が事実なんだ。


++++++++++++++++++++


私だって、偉そうな事は言えない。
散々、自分を虐めてきた。
「生きてていい」という、人間の基本的な安心感が
欠如してた。


知識があることをいい事に、
薬も沢山飲んできた。
男にも依存してきた。
弱い自分を前面に出して、
何とかして、誰かに大切にされたいと願ってきた。
そして・・・。
そんなことを繰り返しても、何の意味も無かった。


周囲には「強い」と言われる。
でも、それは私の弱さ。

そして、「優しい」「温かい」「思いやりがある」「慈愛に満ちてる」
って言われるけど、それは全部、「自愛」だよ。


でも、そうやって、必死に生きてるんだ。
幸い、私は自傷行為に、ODやリスカ等を
選んでこなかった。
それだけの勇気もなかった。


弱くて、依存心が強くて、自分の価値を見出せない。
でも、そこから、私は抜け出そうとしてる。
未来の私の為に。


「甘い」とか「悲劇のヒロイン」とか、
何と言われたって構わない。


そりゃあ、もっともっと、苦しい人もいる。
苦しんできた人もいる。


でもね。
そうじゃないんだよ。
人には人の生き方がある。


++++++++++++++++++++


心は脳が司ってる。
それまでの思考や記憶、そこから繋がる感じ方、思い方・・・。
それは目に見えないもの。


壮絶な人生を生き抜いてきて、
今も必死に生きてる人を、
尊敬するし、凄いなと素直に思う。
でもそれは、その人に、それに耐えられるだけの
脳と脳内物質の流動があるだけ。


目に見えないもので人を測らないで。
みんな、必死に生きてるんだ。
強いからって、弱い人を攻める事、
叱咤する事、そんな権利は誰にも無いんだ。


+++++++++++++++++++++


生命は、死んではまた生まれ、
幾度も生まれ変わり、
ある時は虫だったり、
その次は魚だったり、
あるいは、何百回と続けて獣に生まれたり、
そうして、長い長い転生の旅路の果てに、
やっと「人間」として生まれてくる。


本当に要らない人間は、
奇跡的な確率を経て、
「人間」として、生を受けてはこれないのだから・・・。


++++++++++++++++++++


褒めて欲しかっただけ。
認めて欲しかっただけ。
大切にされてると認識させてほしかっただけ。
愛されてるって確信したかっただけ。
生きてていいんだって言って欲しかっただけ。
そうだよね・・・?


生きてていいんだよ。
生きてるだけでいいんだよ。
今のあなたのままでいいんだよ。
あなたは決して、要らない人間なんかじゃないんだから。





我が家の色々な事情を知る、
50歳の看護婦さんが、夫に噛み付いた。
数時間の、水掛け論。
私は、乖離状態で、ただ、そこに「居た」だけだった。


++++++++++++++++++++


「このコは、貴方に助けを求めてたんじゃないの?
貴方に支えて欲しかったんじゃないの?
そして、このコを助けるべきも、支えるべきも、
貴方だったんじゃないの?」


「俺は、障害を持っていて、
自分で自分の事ができないような人間は
淘汰されるべきだと思ってる。
身体障害だろうが、精神障害だろうが、
自分で働いて、飯の食えない人間、
自分の力で生きていけない人間は、ほっときゃ、のたれ死ぬ。
そういう人間は、のたれ死ぬべきなんだ。」


「自分の親でも、子供でもそう思えるの?
自分の親や子供が、障害を持ったり、
年老いて余命いくばくもないとしても、貴方はそう言うの?」


「生まれる前から障害児と分かっているなら、
そんな子供は生まれてくるな。それが俺の考えだ。
親が倒れようと、俺は面倒を見る気は無い。
それは、嫁に対しても一緒だ。
嫁に、薬が必要になって、俺はコイツの面倒は見ない、と思った。
それだけだ。」


「じゃあ、貴方が明日、交通事故にあって、
誰かの介護が必要になったときは?」


「嫁の世話にも、親の世話にもならない。」


「でも、医者や看護婦の世話にはなるのよ。
人間、1人じゃ生きていけないのよ。」


「だったら、潔く死ぬね。」


「このコが求めていたものが何なのか、
貴方は分からなかったのね。
だから、このコは、苦しかったのよ。
人の精神なんてね、簡単に壊れるの。
病的なレベルにまでいかなかったとしてもね。」


「確かに、嫁は、俺と付き合いだした当初は、
薬なんて必要なかった。
結婚して、ガタガタやってるうちに、薬が必要になった。
薬を飲まないようにしたがってたのも知ってる。
だから、症状がどうにもならない時だけ飲んでた。
今、飲んでいないことも知ってる。
俺が壊したのかもしれない。
でも、例えそうだとしても、淘汰されるべき人間の面倒を
俺は見る気はねぇんだよ。
精神が簡単に壊れる? 壊れないヤツだって沢山いるんだよ。
壊れる様な人間は、淘汰されて当然だ。」


「このコはちゃんと働いてる。
人一倍、仕事でも認められてる。
薬を飲んでた事なんて、誰も知らなかった。
そんな素振りさえ見せなかった。
例え、薬を飲んでいたとしても、仕事と家事とを両立して、
人並みに生活をしてきてる。
それが、淘汰されるべき人間?」


「コイツの遺伝子は、残すべきじゃないんだよ。」


++++++++++++++++++++


・・・私は、淘汰されるべき人間ですか?
・・・私の遺伝子を後世に残してはいけないのですか?


じゃあ。
そんな私と結婚生活を送ってきた貴方は、
一体何なのですか・・・?


私は口を閉じたまま、
涙を流し続けた。


++++++++++++++++++++


「アンタも可愛くないけど(笑)、
アンタの旦那もかなーり可愛くないね。
ある意味、異常だよ、アレは。」
看護婦さんは、最後に、私にそう告げた。


そして私は、最後にこう答えた。
「私の夫を、悪く言わないで・・・。
私が選んだ、最高の夫よ・・・。」


決断

2003年1月19日

自分にとって、
物凄く大切な事を決断する時、
多かれ少なかれ、そこに迷いは生じる。


迷うならやめればいい。
迷うくらいなら、やめればいい。


そうなんだけど。


だけど、大切だからこそ、迷う。
一直線に、何も考えずに、
自分の想いや、自分に都合のいい状況だけを考えて、
前に進めたら、どんなに楽だろう。


最終的な決断は、自分自身で下す。
ほんの少しの迷いさえも、振り切って。


周りや、今自分が置かれている立場や状況、
迷いを促す何かを、消し去る事ができるくらいの
覚悟が固まったなら、自分でその答え通りに事を進める。


もう、後ろは振り返らない。
未来にどんな事が待ち受けようと、
私はそれを超えていこう。


自分で下した決断に、
決して後悔はしないように・・・。




肩肘張って。
強がって。
涙なんて見せないで。


優しく。
やわらかく。
温かく。


そうありたいと、願ってきた。


そして。


「優しい」とか
「やわらかい」とか
「温かい」とか
言われるようになったけど。


それは、私であって、私じゃない。


本当の私は・・・。


そんなに綺麗じゃない。


譲れないこと

2003年1月9日


・・・久しぶりの男漁り。
中々の相手だった。
飲み屋から出た後、当たり前の様にホテルに誘われた。
同棲していた男との性生活も、既に途絶えていて、
「ま、いっか。」くらいの気持ちだったはずなのに、
なぜか私は男の誘いを断って
タクシーに飛び乗った。


朝。


目を覚ましながらも、布団の中でぼんやりしていると、
隣に寝ていた同棲相手の男が、急に口を開いた。


「・・・やっぱり、一緒になるか?」


それが、夫になった人からのプロポーズだった。


最初は、結婚を前提としての同棲だったが、
その頃にはもう、同棲も解消寸前の状態だった。
会話も、コミュニケーションも、セックスも無く、
ただ、一緒に暮らしているだけの日々。
それでも、わずかな期待を残し、
私は求め続けた「家族」を手に入れようと、もがいてた。


思いもよらなかったその一言。
昨夜、この人を裏切らなくて良かったと、
心底思った。


そうして、私はやっと「家族」を手に入れた。


「家族」はあったかくて、心強くて、
心が満たされ、潤った。


++++++++++++++++++++


離婚を目前にして、
夫は、朝帰りをすることもあるけれど、
私に対してとても優しい。


それがどういうつもりかは、正直分かんないけど、
あれだけ私の精神を掻き乱していた人が、
私が安心できるような環境を、作ってくれているのを、
日々痛感する。


ああ、この人と結婚してよかったな。
今はそう思える。

 
裁判に持ち込むことも無く、
穏やかに離婚の準備をする。


悔いは無い。


+++++++++++++++++++


離婚のことは、私の両親には言わないが、
知れば間違いなく、どんな手段を使ってでも、
私を連れ戻そうとするだろう。
そして、見合いをさせて、医者に嫁がせる。
その為に両親は、私の結婚を親族に知らせていないのだから・・・。


そこから如何にして逃れるか。
あらゆる手段で私を探し出そうとする相手に対し、
できるだけの手段でそれを阻止する。
その為に、私の戸籍やら本籍やらは、
一時期あちこちに移動しまくるだろう。


中には、転出先の住所を非公表にしてくれる役場があるというが、
ほとんどがストーカー対策で、
そこには事実確認の為、警察の取調べも行われるらしい。


・・・何か、逃亡者の気分だ。


いや、逃げているだけなのは分かっている。
でも、逃げるしかないんだ。
まともに話が通じる相手ではない。
逃げると決めたら、徹底的に逃げる。


未来の私の為に、
私は私を「道具」としか見ない「親」と称される人たちの
言いなりになるつもりは無い。


私は、もうあなたたちの「道具」じゃない。
私は、私の未来に向かって、
ただ、ただ、必死に生きてくだけだ。


私の人生について、
私は、誰の希望も指図も意見も、
受け付ける気は全く無い。
私の人生だ。私自身が決める。
それは絶対に譲らない。
譲れない。




父親が転勤族だったこともあり、
私の本籍は、ずっと父親の実家の住所だった。
だから、いくら引越しを繰り返しても、本籍は変わらなかった。
遊びに行った事はあっても、住んだ事はない土地にある本籍。
それでも、「変わらない」事に、何か重要な想いを馳せていた。


2年ごとに変わる住所。
ずっとずっと、変わらなかった本籍。
「故郷」の無かった私にとっては、
ある意味、「原点」だったのかもしれない。


結婚し、生まれて初めて、本籍が変わった。
長い間、馴染んできた住所は、免許証からも、消えた。
その代わりに手にした、新しい本籍に、
私は正直、少しの不安があった。


本籍っていうのは、ずっと変わらないもの、という感覚があった。
同棲時代から継続して住み続けた、安くて古い、今のアパート。
何度か「引越し」の話題はあった。
引越したら、住所と共に本籍も変わる。
そのことに、なぜか物凄く抵抗があった。


だから、結婚する際、夫の父親宅の住所を本籍にしたいと申し出た。
元々は、夫の本籍もそこだったのだから、
嫁に嫁いだ私がそこに入っても、何ら問題は生じない。
舅の家は、最終的には夫が手にするものだったのだし。
しかし、姑が反対した。
舅と別れ、一人でアパート暮らしをしていた姑には、
私の申し出が面白くなかったらしい。
只でさえ、自分の子供の中で一番可愛がっていた夫を取られたのだから、
その想いは当然だっただろう。
結局、現住所がそのまま本籍となり、今に到る。


離婚をした後、私は1人きりの戸籍となる。
実家に戻るつもりは無い。


そして・・・。
私の本籍は、今後、引越すたびに、
転々と移動するのだろう。


「ずっと変わらなかったもの」は、無くなった。
宙に浮くイメージ。
根っこが毟り取られる感覚。


何故、そんなに「戸籍」や「本籍」に捕われるのかは、
自分が一番良く分かってる。
でも、私には深い意味のあるものだった。


新しい戸籍。
「妻」と書かれた自分。
それをニヤニヤ眺め、オカズにしながら、
2時間は酒が美味しく飲めた、数年前。


再び新しく手にする、今度は、1人きり、の戸籍を見ながら、
私はどんな想いで、酒を飲むのだろう・・・?


そして・・・。
本籍が「変わるもの」になってしまったことを、
どう受け入れていくのだろう・・・?


大切なもの

2003年1月3日


大切なものは、
ゆっくり、ゆっくり、温めて育てよう。


そう。
卵を温める鳥みたいに。


自分にとって大切なものは、
そんなにそんなに無いはずだよ。


時間や距離や環境や人の言動に
振り回されないで。


大切なものは、
自分の素直な心で「大切」って感じたものなんだから。


・・・大切にしようね。
・・・大切にし合おうね。


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